@昨日
- 18:14 じゃ、今日も、やろうかな。
- 18:31 どうなのかしら。ゲーム以外のことについても tweet するようにしようかしらかしら。
- 18:32 しかしあれだよな、これ、自分宛の tweet が生じても、自動的にはお知らせが来ないのだろう?
- 18:41 じゃ、やろうか。多分途中で買い物とかにも行くことになると思うのだが。
- 19:09 思い付いたことは書いていこう。
- 19:09 戦闘時のエフェクトは、短い方がいい。何度も見ることになるから。ただ、その短い時間で、「どんな技なのか」とか、「どんな凄いことが起こっているのか」ということが分からなければならない。
- 19:38 それにしても、主人公がよく喋るゲームと、あまり喋らないゲームがあると思う。ペルソナは喋らない方だ。
- 19:39 どうしてこういう分類が生じるのかには興味があるが、その一方の方が感情移入がしやすいとかといった理由であれば、それ以上追求する気にはなれない。それは、文学系統の興味の持ち方だ。
- 19:40 果たして、主人公が喋らない方がゲームとして成立させやすい、とかといった事情があるのだろうか。そういう疑問であれば、考えてみたいことだ。
- 19:43 ところで、山田あずさが「キャラクターに潜む「カオス」」『Plateau』 で取り扱ったような、「ストーリーに含まれている謎」という要素は、ゲームに於いても大事であると思う。
- 19:44 それは、ストーリー・ゲーム内の世界に対するそのような興味が、ゲームを進めさせる要因の一つになっていることは疑いないからである。
- 20:08 勿論、私だって文学的な事柄に興味がないわけではない。しかし、分けて考えなければならないと思っているのだ。
- 20:09 とりあえずゲームには、(少なくとも RPG には、)ストーリーとシステムという二つの面があり、それらは一応区別できる。そこで、これまで何度か言ったことがあるのは、ゲームについて語るときに、そのストーリーについてばかり語りすぎている、ということである。
- 20:11 ゲームのストーリーや、世界のあり方、そしてそれらの提示の仕方や提示されたものの解釈について語るのは、飽くまでもゲームに対する取り扱いとしては一面的であると言いたい。
- 20:11 で、そうしたアプローチを「文学的」と呼びたいわけだ。
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