@昨日
- 04:15 「痛いニュース(ノ∀`):外人が指摘する日本RPGの問題点 「物語がありがち」「攻撃・魔法・アイテム・防御の戦闘が退屈」」http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1384567.html について。
- 04:16 ここでは、907 番に注目しておく。 「907 : (…(中略)…) ID:V3+Xv8xz 箱庭はしょん箱庭。そこに物理演算まで入って どのゲームも同じ法則の同じ世界みたい。 ザナドゥくらい独自の世界と自由度を持つゲームを作ってみろってんだ。 」
- 04:17 ここでの文脈は、海外のビデオゲームに親しんだ人が日本製のビデオゲームのここが良くない、と指摘している、というもの。
- 04:18 907 番のレスが興味深いのは、ゲームによる世界の描写について、「法則」に言及しているため。
- 04:18 これは、同じ物理法則を採用している世界同士は、似通う、という指摘として読める。
- 04:20 言ってみれば当たり前のことなのだが、物理演算による CG の描写技術とかというのが使われるようになった結果、この現実の世界と同じ物理法則が成立している「ということがよく分かる」架空世界が増えた。
- 04:21 そうすると、同じ物理法則の式を使って物体の挙動を制御しているようなゲームは、まさに「物理法則」の面で似通うことになる。
- 04:22 ここからは大胆なことを言うけれど、多分、それが大きな分かれ目になっているのだと思う。なんていうんですか、あり得ないファンタジー路線のゲームと、ありそうなリアル路線のゲームとの。
- 04:23 「リアル路線」と呼びたくなるようなゲームについて、一体何が「リアル」なのか、ということについて、これまで色々な意見があったように思う。
- 04:25 人物の性格描写が現実に近いんだ、とか、人間模様が真に迫ってるんだ、とかという点から始まり、とにかく質感が伝わってくる CG なんだ、とか、何でも出来るという点で自由度がまさに現実世界に近いんだ、とかという意見があり得る。
- 04:26 けれど、物理法則を共有している点がリアルなんだ、という見解は、(907 番がそういう意見であるとして、)これまで見たことがなかった。
- 04:27 成程、それはそうだろう。
- 04:28 魔法だ超能力だと言って、人が自由に浮いたり、手の平から炎を出せるような世界は、私たちの世界と「その点で」似通っていない。
- 04:29 けれど、案外この点が、大事なところなんじゃないのか。
- 04:31 現実世界の物理法則を遵守しようとしたら、最も効率的な武器は、銃に、なる。んじゃないのかな?
- 04:33 そして、物理法則を遵守しているということをアピールしようとしたら、FPS にして、物体の挙動を眼前で見せるのが、良い見せ方、ということに、なるんじゃないかな?
- 04:34 だから、洋ゲーが、FPS ばっかりになるのは、現実の物理法則に則ろうとしているからなんじゃないのかな?
- 04:34 みたいな。
- 04:35 なお、最近思っているのだが、形而上学(メタ・「フィジックス」)が我々のものと異なると、ゲームの世界がよく理解できなくなるだろう。
- 04:35 それは、形而上学が、実際のところ私たちの世界観を為しているからだろう。
- 04:36 例。
- 04:38 これはゲームの話じゃないけど、『哭きの竜』の世界では、人間は「運」というものを各々所有しており、麻雀で勝ったり負けたりを含む、何らかの方法によって、その「運」の遣り取りをすることが出来る。ということになっているっぽい。
- 04:38 で、「運」という事柄は、形而上学が扱うべき事柄だと思う。
- 04:39 普段の私たちも、各々の「運」には「量」がある、とかっていうことぐらいまでは、理解することが出来ると思う。場合によっては額面通り受け入れているかも知れない。
- 04:40 『哭きの竜』の世界は、それを越えて、「運」の「量」の「受け渡し」が可能な世界である。
- 04:40 私の見るところ、この「受け渡し」は相当額面通り受け入れられている事柄である。
- 04:42 抜群の「運」の「量」を持つ「竜」という人物を巡って、暴力団員たちが大まじめに命を懸けて、抗争を繰り広げている。
- 04:43 彼らは、竜の持つ「運」を貰うことが出来たら、関西や関東を手に出来ると考えている。
- 04:44 そして竜は、そうした暴力団の首長に対し、自分の持つ「運」は、他人にやれるものではない、と述べる。
- 04:45 それだけを聞けば、竜の言っていることは常識的だが、そこでは「運」というものが普通、受け渡し可能なものとして了解されていることに注意すべきである。
- 04:47 私たちが、運というものの量は人から人へ伝達できるものではない、と考えているとすれば、こうした抗争劇は、かなり異世界の出来事のように見えてくるだろう。
- 04:48 『哭きの竜』という作品を読むときには、「運は受け渡し可能」ということを、お約束事として受け入れねばならない。
- 04:50 これは、「人には魔力というものがあってネ、セイシン的な力のことを言うんだヨ」という具合に、お約束事を提示されているのとパラレルだ。
- 04:51 ただ、往々にして魔力などというものがある世界は、物理法則も我々のものとは異なる。
- 04:51 『哭きの竜』では、物理法則はどうも、同じらしい。
- 04:52 『哭きの竜』は、物理法則(フィジックス)はリアルなままに、形而上学(メタフィジックス)を弄った世界を提示していると言えるだろう。
- 04:53 私は、人に「運」というものがあるとしても、それに「量」はないと思っているので、この「哭きの竜』の世界は、かなり奇妙なものに思われる。
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